争議経過の概要については、前頁の経過表で明らかであるが、当時の『浜松新聞』に掲載された争議関係記事を中心にして、これを補足する。
日楽争議が激化するにつれて、浜松市民及び経済界に及ぼす影響の深刻化を優慮した県当局の動きが活発になり、県首脳部による調停の動きや、県庁内に労働課或は争議調停係の特設が近いことが報道されている(大正十五年四月三十日付)。
四月二十八日 争議団員会社を出てライオン館に結束する。二十九日 社団法人労資協調会の原田嘱託が、浜松署を訪れて高野署長と会見し、ひきつづいて会社を訪れ天野社長に面会を求めたが、会社では最初の意志通り調停者や応援団体に対して交渉することはその本意ではないとして会見を謝絶した。