五月二十七日 争議団の争議真相報告発表(真相報告は度々行なわれた)①工場内に罐詰めにされていた裏切り職工の一団が逃走したので無理矢理に再び工場に監禁したとか、②神久呂村の一青年が会社側に連れ去られたのを知った父親は弁護士(大石力)に依頼して告訴状を検事局へ提出とか、③争議中六十円台であった楽器会社の株は、四十円台を破って今や三十円台に暴落したので、各株主は一斉に天野の失敗を攻撃したとか、④二十六日晩、争議団詰所六ケ所及び成子町の大厳寺(だいごんじ)に於て、争議団主催の会社及び官憲糾弾演説会が開かれた。各会場共開催前既に満員の盛況で、必ず敗れるな、と喊声を挙げて争議団を激励した聴衆千五百余名。各会場で応募された争議基金寄贈は、総額百二十一円八十一銭に達したとか、⑤二十六日午前十時頃、労農同志会の天野一派が鉄棒・棍棒等を携えて争議本部及警備隊本部に来て、幹部を出せ、と怒号し争議団員と激論中、警官のため全部「御用」になった。もう少しで血の雨が降るところであった(五月二十九日付)。