添田敬一郎の調停が困難な見通しになってきた頃、争議指導部ではかねてより計画していた調停工作に移った。それは会社重役陣の対立を利用して、三井財閥を動かすことであった。まず東京から鈴木茂三郎・石黒悦一郎が来浜し、地元有志で東邦電力の増田二郎・三井会社の株主山本粂太郎らは舟をくり出して弁天島の向海岸の砂浜に上陸し、いろいろと相談した。【労働側調停案】鈴木・石黒の出した調停案は添田理事のそれよりもかなり争議団にとって有利な条件がもられていたので、争議団代表数名と中村・松尾が上京し、直接山本・増田と会見して具体的に交渉を進めることになった。しかし、この動きは会社側に察知されるところとなり、上京した代表者は警視庁に検束され、さきにひき返してきた石黒も、浜松署に検束されてしまった。このような中で七月二十五日には会社側に調停案を示すまでにいたったが、会社側はこれを拒絶したのでこの調停は失敗に終った。