八月二日には日本労働組合評議会の本部をはじめ東京・京都・大阪・神戸・三重など全国的にわたって評議会幹部が検束され、浜松でも争議団員や応援労働者など六百(ママ)人余りが検挙された。争議団は麻痺状態におちいり、争議団幹部の中にも動揺があらわれ「協和促進連盟」を結成して争議の収拾を図る動きも出はじめた。争議解決への動きが急速に高まった。八月六日には評議会中央本部の野田律太他二名の争議団代表は、林田県工場課長とともに上京して、協調会に無条件調停の依頼を余儀なくされるにいたった。そこで翌七日添田理事は再び来浜し、渡辺市長(日本楽器会社株主)・鈴木幸作市議とともに天野社長・小竹監査役と懇談の結果、解雇者三百五十名、解雇手当三万円支給するほか、争議による被訴追者の家族及び負傷者への見舞金として八千円を支出することに決定した。