小作争議

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 関東大震災のころから不況が進み、ことに農村では小作農の生活が苦しくなり、各地に小作争議がおこった。
 
【有玉半田富塚】浜松地方では大正十三年から同十四年にかけて、浜名郡積志(せきし)村有玉(ありたま)から半田方面には四回にわたり、また同郡富塚村(現在当市富塚町)でも、小作料引上げの要求が出ている(『静岡民友新聞』)。ついで大正十五年九月四日に浜名湖付近に上陸した台風が西遠地方に全壊家屋千四百戸、死傷者百六十人を出し農作物に被害を与え(浜松測候所『静岡県遠州地方の気象』)、続く旱魃が六分減の収穫を予想されると、納米期を控えた各地に地主対小作人との間に問題を生じた。【新津 和田 天王 有玉】浜名郡新津(しんず)村(現在浜松市)の潮水害による小作料全免要求、同郡和田村の小作料引下げ要求、同郡天王・積志の両村における肥料代金の前貸制度の要求等いずれもその例であるが、翌昭和二年一月には積志村有玉の小作人三百余名は地主高林兵衛・高林泰虎に対し、昨年の収入減を理由に年貢の六割減を要求し、三割減を主張する地主側と紛糾を生じ、三割五分減をもって調停が成立している(『静岡民友新聞』)。また同村ではその年の三月にも他の地主と小作人十九名との間に争議が生じている。

三方原村小作争議の記事 (昭和6年1月22日付)

【三方原】昭和六年一月になると、浜名郡三方原村の「粟(あわ)や稗(ひえ)や薩摩芋(さつまいも)等を常食として辛うじて露命をつないでゐる」農民たち三十余名と地主との間に小作争議がおこり「警鐘を乱打、大挙地主を襲ふ」(『静岡民友新聞』)事件が生じているのみならず、同村初生(はつおい)では地主の芳川(ほうがわ)村金折(かなおり)の弁護士小島庄吉(原告)と小作人(被告)十一名との間に訴訟事件がおきている。原告の主張は「賃貸料ハ豊凶其ノ他如何ナル事情アルモ減額セザル条件」(『高橋家文書』)で昭和四年以来合計七町二反八畝の土地を貸与したのに賃貸料が現在にいたるまで未払であるについては「其ノ地上ニ存在スル建物其ノ他被告の設備又ハ栽培シタル物件ヲ撤去シ、土地ヲ原状ニ復シテ明渡スベシ」(『高橋家文書』)というのであった。事件は被告たちの小作調停申立により、これが成立し同年八月に原告が訴状を取下げて解決した。