馬車鉄道も明治三十年代になると数々の計画案が現われたが、これも日の目を見ずに終ったものが多かった。つぎはその主なものである。
①西遠馬車鉄道株式会社 明治三十年二月川口栄三郎らによって計画され、引佐郡気賀町から中川・和地・三方原・吉野・曳馬村を経由して浜松にいたる(一〇マイル)案として、浜松町会へ道路使用願まで出したが立ち消えとなった(林圭介『浜松周辺乗合馬車軌道』)。
②浜松・二俣間馬車鉄道会社(仮称) 明治三十年浜松町中村忠七・曳馬村中村太郎三郎らの立案。実現しなかった。
③西ケ崎・宮口間馬車鉄道会社(仮称) 明治三十一年許可になり「土地立入認可願」まで出したが、これも実現しなかった(『太田文書』)。