①鹿島線 浜松田(字板屋)と磐田郡二俣(ふたまた)町(鹿島)間を結ぶ十七・七キロメートルで軌幅二フィート六インチ(七六二ミリメートル)、明治四十二年十二月六日開通、鹿島線(二俣線ともいった)と称した。人口密度も多く産業経済の発達した西遠平野を南北に縦貫する二俣街道(二俣西街道ともいう)に沿って新設され、距離ももっとも長かった。当時の新聞は、鹿島線の開通に際して、板屋町の停車場入口に立派なアーチが建てられ、二十八人の定員に対して、四十人以上が乗り込んだため、浜松から岩水寺、二俣あたりまで十一哩(マイル)一時間二十五分のところを、二時間から三時間もかかり、歩く方が早いとの笑い話も生まれ、人々が期待に胸をふくらませて乗車しているようすを報じている(明治四十二年十二月八日『静岡民友新聞』)。