二俣線開通と西鹿島駅 遠州鉄道株式会社

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 昭和に入り不況の波がおしよせると、鹿島線沿線の岩水寺を遊園地として宣伝したり、鹿島の花火大会に臨時電車を増発したり、納涼電車の運転をしたりして経営に努力した。その後十五年省線の二俣線が開業すると、旧駅(鹿島駅)より浜松寄りに新しく省線と共同の西鹿島駅を設置した。戦局が進展した十八年十一月には他の交通機関五社(浜松自動車・遠州秋葉自動車・掛塚自動車・遠州乗合自動車・気賀自動車等)と合併(他に四社を買収)、社名も遠州鉄道株式会社と改称、以来同社は遠鉄の名をもって現在も人々に親しまれ、北遠地方へ通ずる大動脈となっている。