また民間航空会社の設立も計画され、昭和二年に浜松飛行機製作所が三方原に十万坪の飛行場を建設し、完成後は飛行学校を開設すると共に、日本航空輸送会社の中間着陸場とすることを交渉した。その後六年にはこの飛行場を利用して、浜松・飯田・名古屋を三角形に結ぶ旅客・貨物の航空輸送計画が高町の鈴木正、平田(なめだ)の鳴沢某等によって立てられ、同年八月一日には上田一等飛行士操縦のもとに発起人の鈴木正が同乗して浜松・飯田間の試験飛行が成功裡に行なわれたが(『日本民声新聞』)、この浜松人の面目躍如たる先進的な計画も機熟さずして本格的な運行まで至らなかった。