浜松地方の自動車数は大正六年に市内に四台あったというのが最も古い記録であるが、七年には市と郊外とを結ぶ営業用自動車が走りはじめている(『静岡民友新聞』によれば明治三十八年には浜松・二俣間、四十五年には浜松・舞阪間に待合自動車運転計画のあったことが記されている)。これが最初で、これより各地との間に郊外自動車の発達をみるのであるが、その主要な路線は①浜松・笠井間②浜松・二俣間③浜松・雄踏間④浜松・掛塚間⑤浜松・舘山寺間⑥浜松・気賀間などであった。以下、これについて述べよう(次頁図参照)。
浜松最初の自動車 郊外自動車