その他の路線

501 ~ 502 / 729ページ
 ⑥浜松を中心とする各方面への路線 昭和四年一月創立の浜松自動車株式会社(本社浜松市田町、社長坂下仙一郎)があった。これは大正時代より営業開始していた笠井・浜松市街・坂下・万歳の各自動車商会と遠州自動車株式会社の五社が不況克服のため合併成立した会社であった。【舘山寺 銀バス】路線は浜松を中心に笠井・舘山寺・宇布見・弁天島・倉松・鶴見と幅広く、銀バスの「浜自」として親しまれた。
 
【黄バス 中ノ町】この他に「黄バス」と呼ばれて浜松・中ノ町間を往復する遠州乗合自動車株式会社(昭和十一年創立、本社磐田郡見付町、前身は昭和五年創立の昭和自動車株式会社)があった。浜松電気鉄道株式会社の中ノ町線(前述)を昭和十二年四月合併して得た路線であった。なおこの頃天竜川駅と中ノ町間を結ぶ路線もできた。
 以上のほかに遠三自動車株式会社(気賀・三ケ日・豊橋を結ぶ)・湖西自動車株式会社(鷲津・入出・三ケ日を結ぶ)・阿多古自動車(二俣・阿多古を結ぶ)などがあった。
 浜松地方の郊外自動車交通は、大正の後半期より発達し、最初は規模も小さく最高時速もわずか十六マイル程度で速度も遅かった。昭和へ入ってからようやく充実をみせ、路線も整備されていった。しかし質素な農村ではこのような郊外自動車は贅沢視され、その利用は十分ではなかった。