浜松地方と三河を結ぶ鉄道案

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 浜松地方と三河方面を鉄道で結ぶ案もしばしば計画された。大正九年の三河国(愛知県)国府から浜名湖北岸を経て浜松へ至る東海道電気鉄道計画も、昭和二年に浜松・気賀間は浜松鉄道により、気賀(大字広岡)から三ケ日・石巻村を経て豊橋に至る遠三鉄道株式会社計画もその一つであった。この遠三鉄道株式会社は、建設費三百四十六万円余、浜松からは宮本甚七・中村藤吉・鈴木幸作・伊藤要蔵らが計画し、二年九月には浜松市公会堂で創立総会まで開かれたが、不況のため五年十月解散となり実現しなかった。また、大正十五年には浜松から雄踏・新居・白須賀を経て豊橋とを結ぶ鉄道の計画(宮本甚七・金原明徳・久野茂)もあったが計画のみで終った。