教育費の増加

513 ~ 514 / 729ページ
 ここで市の教育費に目をむけてみると、明治四十一年に義務教育年限が延長されると、就学児童の増加となって、教育費は市の大きな負担となっていった(上表及び第三章第五節第一項参照)。
 
(表)浜松市の教育費
年次教育費経常費
明治4029,18844,47865
〃4242,92874,08657
大正元50,065136,82936
〃557,37294,30060
〃10256,614412,93562
〃15266,446488,28254
昭和11474,525940,02450
〃16301,5431,007,99229

 
(表)浜松市立小学校
(大正14年4月末現在)
校名創立所在地学級数児童数職員数
総数尋常科高等科
元城明治6年元城町382,4492,08836142
〃42年海老塚町281,7431,53221131
西〃42年鴨江町221,4301,27016025
大正6年東田町291,8161,62019631
県居〃9年東伊場町211,3211,15916224
相生明治23年向宿町211,2881,15113724
大正11年野口町12718718014
追分〃12年追分町641141107
龍禅寺〃13年龍禅寺町642242206

註 所在地は5月1日以降の町名を記す
  相生小学校は大正10年天神町村の編入によって市立となる
 
【授業料】このため市は明治四十四年から大正元年にかけて七万六千円余の市債をつのったり、また児童より授業料を徴集したりしている(大正十四年尋常科一名二〇銭、高等科一円で十五年度の教育予算費二六万六四四六円に対し一・二%にしかすぎなかった)。【教育振興会】それのみでなく各小学校は、学区ごとに教育振興会と称する後援団体を児童の父兄をもって組織し、児童の家庭から一か月十銭ぐらい集めて校費の不足に充てた。今でいえばP・T・Aに相当するものであった(第五章第一節第三項参照)。