質実剛健の校風の樹立に留意しながらも、新設校だけに大正デモクラシーの声もとりいれられ、附属小学校と共催の研究発表会は近隣小学校に指針をあたえるものであったし、秋の音楽会はこのような催しの少なかった浜松の年中行事の一つに数えられ人出で賑わった。【廃止案】昭和に入り不況と財政緊縮のため十年十一月に廃止議案が静岡県会に上程された。学校側は必死の存続運動を展開し、内務省例の存置方針もあって、翌年三月ようやく存続の確定をみた(『静岡県議会史』『静岡大学教育学部同窓会記念誌』)。
(表)浜松市内の師範学枚
校名 | 所在地 | 卒業年限 | 職員数 | 学級数 | 生徒数 | ||
総数 | 男 | 女 | |||||
県立浜松師範学校 | 名残町 | 一部5 | 31 | 14 | 人 | 人 | 人 |
二部2 | 495 | 495 | ― | ||||
専攻1 |
浜松師範学校(大正14年撮影)