学校増加と教員不足

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 学校の増加とともに教員の不足が叫ばれ、浜松市大字名残(現在の布橋三丁目)に県立浜松師範学校(校地二万坪、静岡大学教育学部の前身)が開校したのは大正四年四月であった(大正三年十月設立認可)。男子のみの学校で定員一部生四百名、二部生八十名、教員二十名で発足し、翌五年四月校内に附属小学校も開校した。十四年四月から五年制となり、翌年には専攻科も設置された。
 質実剛健の校風の樹立に留意しながらも、新設校だけに大正デモクラシーの声もとりいれられ、附属小学校と共催の研究発表会は近隣小学校に指針をあたえるものであったし、秋の音楽会はこのような催しの少なかった浜松の年中行事の一つに数えられ人出で賑わった。【廃止案】昭和に入り不況と財政緊縮のため十年十一月に廃止議案が静岡県会に上程された。学校側は必死の存続運動を展開し、内務省例の存置方針もあって、翌年三月ようやく存続の確定をみた(『静岡県議会史』『静岡大学教育学部同窓会記念誌』)。
 
(表)浜松市内の師範学枚
校名所在地卒業年限職員数学級数生徒数
総数
県立浜松師範学校名残町一部53114
二部2495495
専攻1


浜松師範学校(大正14年撮影)