【染織部】静岡に県立工業試験場ができ浜松の織物業者の熱望により、その染織部(浜松分場)が明治三十九年に浜松馬込町へ設けられると、遠州織物同業組合長桑原為十郎らの尽力により、高等小学校修了生を入学資格とし修業年間一か年の染織講習所(染色・機織・図案の三科を設置)が併置されたのは大正四年四月であった。しかし、それのみでは地元の要求を充たすには不充分として「本県下ニ於ケル唯一無ニノ工業地ナレバ本市ニ県立工業学校ノ設立ヲ要望スルハ工業教育ノ完壁ヲ期スル上ニ最モ重要ノ次第」(「県立工業学校設置要望具申書」)として猛運動の結果、浜松工業学校(浜松工業高等学校の前身)の開校となったのであった。最初は静岡工業試験場浜松分場で授業を開始したが、八年四月に浜松北寺島町(校地七六〇〇坪、定員三五〇名)に移転した。【工業試験場】同時に浜松分場も昇格し工業試験場となって移転されることになった。【山本又六校長】色染仕上科と紡織科よりなり五年制で(のちに機織科・建築科・図案科などが増設)、初代校長山本又六(明治十四年高知県安芸郡土居村生、昭和二十年退職)は浜松分場長としてまた開校以来昭和二十年十月までの長きにわたって校長の任にあり、浜松地方織物界の指導者としても業界発展のため貢献するところ甚だ大であった。昭和四十一年浜松名誉市民に推薦され、『遠江織物史稿』の著述がある。なお本校は初生町(昭和四十一年五月)に移っている(浜松工業高等学校『創立六十周年記念誌』)。
(表)浜松市内の実業学校(昭和16年)
校名 | 所在地 | 修業年限 | 職員数 | 学級数 | 生徒数 |
総数 | 男 | 女 |
| | 年 | 人 | | 人 | 人 | 人 |
総数 | 9 | ― | 200 | 84 | 4,386 | 2,984 | 1,402 |
県立浜松商業学校 | 名残町 | 5 | 25 | 15 | 820 | 820 | ― |
県立浜松第二商業学校 | 名残町 | 4 | 21 | 4 | 183 | 183 | ― |
県立浜松工業学校 | 北寺島町 | 5 | 47 | 23 | 723 | 723 | ― |
県立浜松農蚕学校 | 高林町 | 3 | 14 | 4 | 219 | 219 | ― |
私立静岡県興誠商業学校 | 高林町 | 5 | 20 | 17 | 1,039 | 1,039 | ― |
市立浜松実業学校 | 元城町 | 2 | 11 | 4 | 216 | ― | 216 |
私立浜松淑徳女学校 | 平田町 | 2 | 16 | 4 | 280 | ― | 280 |
私立浜松信愛女学校 | 下池川町 | 4 | 19 | 5 | 395 | ― | 395 |
私立浜松女子商業学校 | 向宿町 | 4 | 17 | 8 | 511 | ― | 511 |