高柳健次郎のテレビ研究

520 ~ 521 / 729ページ
 また同校はテレビジョンの研究をはじめた高柳健次郎(浜名郡和田村安間新田生、東京高等工業学校教員養成所卒、大正十三年浜松高等工業学校助教授)が在職し、テレビジョンの学校としても知られた。健次郎は校長関口壮吉の理解ある計らいでテレビジョンの研究に着手し、苦心の末に全電子式テレビジョン伝導実験に成功したのは昭和二年十月七日であった。やがてその成果が認められて文部省や日本放送協会などからも研究費が交付され、同校内にテレビジョン研究の専用建物(現在西部公民館建築)と施設も設けられ、テレビジョン研究といえば同校をさすようになった(神谷昌志「浜松高等工業に於けるテレビ研究」『遠州機械金属工業発展史』)。