浜松盲学校 浜松聾啞学校

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 浜松盲(もう)学校と浜松聾啞(ろうあ)学校 盲啞教育が重視されるようになったのも大正時代からで、私立浜松盲学校が大正十一年四月に浜松大字鴨江に設立され、続いて私立浜松聾啞学校が翌十二年四月に盲学校内に併設された。設立者はいずれも泉亀太郎、校長は小竹禄之助(浜松高町在住、市会議員、昭和二十一年二月没、八十五歳)で、湯浅輝夫(愛知県名古屋市生、浜松鴨江町在住、市会議員、昭和三十八年没、七十三歳)も主宰であった。両校とも十五年四月から県の代用校となっている。【石川倉次】なお校庭に石川倉次(前述)の記念碑ができたのは昭和五年五月であった。
 このほか私立の看護婦学校や産婆学校・洋裁学校をはじめ簿記学校など各種の学校があった。