理科室

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 教科では、例えば歴史や地理では自らの目や耳や足で確かめる実際の調査―それは郷土教育(後述)に通じるものであった―、理科では実験実習が重視され、校内には学校園や家畜の飼育小屋が設けられた。そういう傾向をくみいれていちはやく一教室をさき、児童が集団ごとに分れて実験ができ、ときには暗室ともなる理科室を県居校が設けたのは大正末期であった。【プール】体操ではスポーツや舞踊が行なわれ、東小学校には昭和三年七月に市内小学校としては最初のプール(幅九メートル、長二五メートル)が設けられ、元城校や北校では課外運動として少年野球がとりいれられた(後述)。【童謡】音楽(当時は唱歌といった)では文部省唱歌のみならず北原白秋や野口雨情の童謡とか地元作家の作詩作曲になる童謡が教材として採用され、曳馬小学校では飯尾哲爾は己れの編集になる童謡集『花の御園』を用いて副教科書とした。これは浜松地方では最初の本譜教授であった。