水泳の振興 浜名湾遊泳協会

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 浜松地方の学校水泳振興の母体となったのは、堀江耕造(明治十七年敷知郡舞坂宿、現在の浜名郡舞阪町生、浜松高工教授、昭和十五年五月没、五十七歳)らによって大正五年に創立された浜名湾遊泳協会である。【学友会 弁天島】これはわが国における最初の水泳団体であって、その源は遠く明治三十三年創立された遠州学友会(遠州地方出身の学生、卒業生の団体、発起者河井弥八・長延連・県忍・桑原虎雄・柴田善三郎等)が浜松や掛川中学校(のちに浜松商業学校も参加)の卒業生や在校生をまじえて、浜名湖弁天島(丸勘旅館のちに宿舎)で水泳練習をしたことに始まった。和達清夫(理学博士、中央気象台長)は「烈日のもと裸身の一群れが世間をよそに、教室を忘れ、自然の清らかさの中に過した数十日は恐らく私の一生のうち一番楽しかった時であろう」(和達清夫『随筆集』)と述懐している。ことに明治四十二年以降は毎年浜名湾連合水泳大会を開催してきたが、時勢にかんがみ大正五年発展して協会の設立となったのであった(舞阪町郷土史研究会『浜名湖水泳史』)。