【野田一雄 田畑政治 宮崎康二】大正十二年の第六回極東大会には小野田一雄(浜中卒)・磯部勝治(浜中在学)、十三年第八回オリンピック大会(パリ)には野田一雄(浜商在学)・小野田一雄、十四年極東大会(マニラ)には野田一雄(四〇〇ヤード三位)・野寄金治郎(浜商在学、四〇〇ヤード二位)が活躍、昭和三年第九回オリンピック大会(アムステルダム)に野田一雄は水泳主将として、七年第十回オリンピック大会(ロスアンゼルス)には浜名湾遊泳競会を中心とした静岡県勢には水泳総監督田畑政治(当市成子町出身、浜中―東大)、コーチ野田一雄・片山兼吉(浜一中―明大)・宮崎康二(浜一中)・牧野正蔵(見付中)・小池礼三(沼津商)・竹林隆治(中泉農―早大)があり活躍した。このとき宮崎は浜一中四年生で十五歳で百メートル自由型五十八秒二のオリンピック新記録で優勝し、八百メートルリレーの一員として八分五十八秒二の世界新記録を樹立し、浜名湾遊泳協会の名は全国に鳴りひびいた。続く十一年の第十一回オリンピック大会(ベルリン)には本部役員として田畑政治をはじめ水泳には宮崎康二・牧野正蔵らが参加した(『静岡県体育史』)。