角力

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 角力(すもう)も国技といわれ、大相撲で十両まで昇進した経歴のある明石潟九右衛門は引退後浜松へ戻り、実弟明治潟などとともに相撲の振興に力をつくした。そして昭和六年六月には浜松(南座跡)で無料宿泊所を援助する慈善興行が開催されている。【天竜三郎】なお昭和七年に相撲界の粛清を叫び、角力協会を脱退し関西相撲連盟を組織した出羽の海部屋の力士で関脇まで進んだ天竜三郎(和久田三郎、明治三十六年浜名郡神久呂村生)は浜松出身の力士であった。