河西哲英慰霊碑 銅像の流行

530 ~ 531 / 729ページ
 いろいろの事件もあった。昭和二年五月三日には豪雨のため都田川が増水し、都田小学校では通学区ごとに教師を附添わせ帰宅させたが、そのさい濁流の中へ転落した児童を救助しようとして河西哲英訓導(引佐郡日比沢出身)が溺死するという事件がおきている。あたかもせまりくる不況下に教育者の精神作興を唱える政府の方針に支えられ、翌年五月に都田川畔に慰霊碑が建てられ、河西訓導は教師の亀鑑として表彰された。表彰といえば浜松元城小学校長高山仰止、西小学校長大賀辰太郎の銅像が校庭にできたのが前者は大正十一年、後者は昭和三年十一月であった(昭和十七年戦争で供出し現在はない)。銅像の流行時代であった。