童話の実演

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 童話の実演、児童雑誌の発刊、講演会の開催などがその主たる事業であった。童話は同年十二月元城小で開催したのを手はじめに、月例会場として成子町法林寺、そのほか各小学校・各寺院・会社の寮・田町共生会館・信行社などを巡回し、天林寺の花祭には野外童話会(大正十二年)、アンデルセン生誕記念講話会を浜松高等工業講堂(大正十四年十月)で催した。【映画 紙芝居】映画や紙芝居もとりいれ昭和二年には飯尾・久保田の両名は夏季休暇を利用し、小型映写機をたずさえ一週間にわたって北遠地方(浦川―川合―中部―久根―西渡方面の小学校)に実演旅行を試みた。また紙芝居が流行すると、手作りで郷土童画を画いてこれの上演をした。
 
【『花火』の発刊】児童雑誌は『花火』といい大正十二年四月発刊された。児童の創作活動を促し、その作品の発表機関を与えるというのが趣旨であった(同十三年三月五号で休刊)。【童謡踊 童謡講習会】講習会は飯尾哲爾を講師とする大正十二年九月と翌十三年七月の童謡踊講習会(会場曳馬小学校)、県善三郎や佐々木松次郎を講師とする洋画講習会(会場浜二中)、さらに十二年八月(八、九日)には野口雨情を招いて元城小学校(国光館)で童謡の作り方の講習会を開催した(雨情の詩碑は浜松成子町法林寺境内にある。曳馬の萩と題して「スイッチョがいった スイッチョがいった 曳馬の萩は筆になっちゃった スイッチョがきいた スイッチョがきいた 曳馬の萩は野原の萩だ」という雨情の詩が刻まれている。なお傍にリズム社県善三郎がこの詩のために作った曲を彫った碑がある。昭和四十二年建立)。【音楽会】盛会だったのは協会創立一周年を記念し浜松師範学校講堂を会場とする記念音楽会であった。【郷土カルタ】また浜松地方の郷土伝説から取材した郷土カルタを製作し、その実演を浜松放送局より放送したりした(昭和十五年一月)。

花火


野口雨情と浜松子供協会の人たち

     後列 三輪桂作 渥美実 野口雨情 中道朔爾 久保田閲次 松井多門
     中列 松本久三郎 吉沢純道 水谷正義 飯尾哲爾 本杉亮平
     前列 山田千之 宇波耕作 後藤国道