浜松市教育会 明治四十四年七月二日、市制施行日の翌日に、浜名郡教育会より分離して創立をみた。ついで静岡県教育会及び帝国教育会連合会へ加盟した。会員は市内の教職員。総裁は浜松市長で初代会長は石山逸八(浜松亀山町在住、明治三十二年より大正十一年まで浜松女子尋常高等小学校長、昭和五年十一月没、六十三歳)であった。事業としては県居翁の顕彰(県居会を西小学校を会場とし、十月三十日開くを例とした)・商工補習学校の経営(明治四十四年より大正十年まで)・市史資料展覧会(明治四十五年七月)・市内教育功労者の表彰(大正九年以降)や研修会の開催を行なったりした。
青年団と女子青年団 浜松地方に青年運動が普及するのは明治四十年から四十三年にかけてであった。