少年団 大正九年春設立の議が起り、校外教育の緊要な施設であるとして大正十年一月浜松市少年団と名づけ結団式をあげた。【小学校単位】本部は市役所におき、団長は山下五三郎、副団長は石井忠晴、市内の各小学校に分団をおき、その小学校長が分団長であった。大正十四年に九分団、団員数千三百四十人で、実質的には各小学校に在籍の尋常科五年生と六年生の男子全員をもって団員とした。経費は市が補助金を支弁した。事業には各種の見学及び実習、体育的諸行事の実施、神社参拝の実施、水泳の練習、社会奉仕があった。【ジャンボリー 水泳訓練】最初は大正十三年七月にはジャンボリー(全市少年団南小学校々庭にての陸上競技会)や義士祭(市内全団員が参加し、十二月十五日の夜、利町五社諏訪両社の境内を吉良邸と想定し隠しおいたキャベツの首級を獲得し、その数の多い分団を表彰する行事)などをして気勢をあげたが、最後まで残った行事は毎年七月末に浜名湖弁天島に七日間行なう水泳訓練であった。その水泳も昭和になって軍国的の色彩が濃くなると女子児童もすることとなり、「少年団の水泳」という名のみ残って学校単独の行事となんら変りのないものになっていった。
浜松市少年団義士祭