信行社(しんぎょうしゃ) 心学布教の団体で、明治三十二年一月に守本恵観にあい、その教えに心服した福島豊策(浜松病院長、明治二十年後道に開業)が、明治三十六年浜松元城に設けた道場で、はじめ信行倶楽部ともいった(毎月六回の講席を設けたという)。【助信】のち助信へ移り財団法人浜松信行社と称した。【袴田五平】袴田五平(浜名郡曳馬村)・高村栄蔵(浜松板屋町)・平松実(天神町村中島)・鈴木犀十郎(浜松常盤町)・中村弥八・山口喜代次郎などの熱心な唱導により大正時代には三百名に近い社員を有した(飯尾哲爾「浜松と心学」『遠江郷土研究会誌』第二号・大野木吉兵衛「浜松信行社の沿革」『浜松短期大学研究論集』)。【共生会館】昭和へ入って講師に椎尾弁匡・友松円諦・大西良慶・中川宗渕などがしばしば来浜し共生会館(浜松田町)などで講演している。外郭団体に女子仏名会などがあって、月々仏教修養会を開いている。