今上天皇は昭和五年五月三十日に浜松へお着きになり、翌三十一日は浜松市内の工場等を視察され、六月一日浜名湖を廻られ、午後は浜松へもどられて沼津へお出でになった(次頁表参照)。天皇はこの年五月の終りから六月の始めへかけて七日間県下の民情産業教育等を視察されたが、その一環として浜松行幸となったのであった。浜松行幸は、明治天皇の明治十一年以来のことで、十一万の市民がお待ちする中を午後四時近く浜松駅へ着御。【行在所】沿道にならぶ各団体老若男女の奉迎を受けられつつ行在所(あんざいしょ)へお向かいになり、浜松名物の凧揚(たこあ)げをご覧になった。【市内巡覧】翌三十一日の午前は浜松高等工業学校の校庭で県下西部代表者八千人の奉拝をお受けになり、それより市内の会社・工場・学校等九か所をご巡覧になった。この間に浜松市長中村陸平は浜松市の市勢一般について奏上申しあげた。【親閲式】ついで午後三時からご親閲が高射砲第一聯隊練兵場(和地山)において行なわれた。軍隊や男子学生生徒などの分列式や女子生徒による奉迎歌を玉座に立って一々ご答礼になり、やがておこる君が代の合唱と聖寿をことほぐ万歳のうちに式は終った(和地山公園に行幸記念碑がある)。暑い日であったが「天皇日和」と市民がたたえた好天気であった。夜も飛行第七聯隊や高射砲聯隊の合同演習などがあり浜松市内は不夜城の賑いであった。
浜松駅前の鹵簿