期間中は地元はもちろん全国各県各都市をはじめ各地よりの観覧者もきらず、経済不況の際にもかかわらず期間中の入場者延数は六十八万人を数え収益も十五万円(高柳市政時代に他の事業に流用した)にのぼり、予想を上まわる大成功をおさめ盛況裡に閉会をした。けだし浜松最初のことであった(『浜松市主催全国産業博覧会協賛会誌』)。このように有終の美をかざり得たのは前任の中村市長をはじめとする市当局はもちろん、市議会・商工会議所・遠江織物同業組合をはじめとし、博覧会協賛会員として出資に協力した各会社や個人、また市内各町の正副総代の隠れた協力援助の力が大であった。まことに全国産業博覧会は明治・大正・昭和の三代に亘って発展してきた商工都市浜松の名声を全市民が一丸となって力をあわせ高からしめた記念すべき一大金字塔であったといえよう。なおこの博覧会の会場であった元浜町方面もこれを機として発展するようになった。
全国産業博覧会(西会場正門)