市民の集会場

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 これまで市民の集会場には、利町五社神社境内の演武館とか元城町の浜松報徳館などの建物を借用するばかりで独立した会場がなかったが、市民の要望により昭和二年二月に始めて市立の公会堂が浜松利町の諏訪神社の社有地に紀元節の佳節を卜して開館となった。工費十九万円、敷地六百四坪、建物坪数二百十六坪、建物延坪数四百六十六坪で、本館と付属館とから成っていた。【近代的施設】地階共に四階の鉄筋コンクリート造りで、近世文芸復興様式(ルネッサンス)を模して建てられたものである。
 
【食堂】本館の一階は、はいると玄関広間が中央にあり、公衆食堂があった。また左側には応接間と一号から三号までの会議室が続き右側には事務室・遊戯室があった。【大ホール】二階は八百五十人収容のできるステージ付の椅子席の大ホールで、貴賓室や休憩室も付設されていた。【映写室】三階にはギャレリー、映写室、喫煙室などがあった。地階は暖房などに用いるボイラー室、下足預り場などになっていた。附属館には炊事室やタンク室があった。なお冷房用として三十三個の扇風機が備えつけられるようになっていた。照明や音楽効果も十分考慮され、舞台の緞帳(どんちょう)も豪華であったが、玄関前の照明燈を背負った男の塑像(そぞう)が、公会堂の正面を照らし出す照明設備はいかにも近代的で人目を驚かすに十分であった。
 公会堂ができると、講演会、演芸会、音楽会、慰安会をはじめ学芸会など、ことに昭和十二年二月十四日歌舞伎座が焼失すると、演劇場としてもよく利用されて市民に喜ばれた(昭和三十七年改築し児童会館となった)。