上水道 商工業の発展と都市化の進展による飲料水の不足、水質の悪化、特に発展途上の高台地区の水不足は深刻で、こうした水利の未整備は一旦大火の際の不安の大きさでもあった。こうした状況下、市勢の発展と市民の保健衛生維持の見地からも水道敷設の必要性が要望され、既述のように都市計画事業とともに大正から昭和にかけての市政上の大問題となり、曲折を経て昭和六年三月二十八日浄水場で通水式を行なうに至ったのである。以下その規模の概略を記すことにする(『浜松市制施行二十周年記念小誌』)。
【水源】①水源 浜名郡中ノ町村字白鳥、豊西村字常光地内で天竜川の伏流水を引用し、堤腹に築造した集水井に誘導する。【送水路】②送水路 集水井より高揚喞筒(ポンプ)を以て豊西村・中ノ町村・長上村・曳馬村等を経て浄水場まで延長七千七百六十三メートル。【浄水と配水】③浄水及び配水 浄水場は曳馬村高林(現在の住吉五丁目)に設け、ここで濾過(ろか)浄水した後、高林地内を南行して中沢町に下り自然流下によって市内低区に配水する線と、喞筒(ポンプ)により姫街道に出て和地山町を南進し、海抜十メートル以上の高区に配水する線があった。【給水量】④給水量 人口十三万ないし十七万人に対し一人一日の最大給水量百三十リットル、夏季に於ける時間的最大給水量一日一人百八十リットル、消火用水量毎分九百ないし二千四百リットル。給水量の基礎となる人口は、昭和十一年十三万八百三十四名、二十二年十七万一千百五人と推計している。⑤消火栓 丁字路・十字路等百メートルないし百三十メートル前後の距離に設け七百六十六箇所。【費用】⑥費用決算見込額 事務費二十一万九千六百三十一円、工事費二百二万八千五百二円、その他十六万五千七百九十二円であった。
以上のような規模で通水したが、当初は通水予定三千三百戸に対して申込はわずか五百戸未満という状態であった。そのため市当局は「水道を引いた家にない伝染病―大童(わらわ)で宣伝の水道部」(昭和六年六月二十五日『日本民声新聞』)とか、「水道の水を使うと美人になる」と宣伝する美人をのせたり給水の拡大につとめている。【住吉浄水場】なお住吉の浄水場の構内と浄水場前の道路に植えられた桜と躑躅(つつじ)は桜の名所、つつじの名所として市民に親しまれた。