大正から昭和にかけての衛生上の主な事件をあげると、
①大正七年 スペイン風邪流行。②大正八年 浜松市に天然痘患者二十一名の発生により恐慌を来したが強制種痘の実施で終熄。③大正十二年九月一日 関東大震災。浜松医師会では救護班を組織して救護にむかった。④大正十四年 この年から市立小学校と幼稚園に校医がおかれた。⑤昭和十一年五月十日 静岡県立浜松第一中学校で運動会終了後一人六箇宛配布された大福餅が原因で中毒事件が発生。【死亡四四名】罹病者は職員二十一名、職員家族五十一名、生徒八百八十三名、生徒家族千百六十一名で、死亡者は生徒二十九名、家族十五名計四十四名の多きにのぼった。この事件は新聞・ラジオ等を通じて全国に報道され国民の耳目を驚かした。事件は県・市の各機関・郡市医師会・日赤救護班・第三師団救護班・陸軍軍医学校・浜松衛戍(えいじゅ)病院等多くの機関の緊密な協力で被害を最小限にくいとめることができた。この事件の原因は、鍛冶町の三好野菓子店で製造された大福餅に潜入したゲルトネル氏腸炎菌によるものと発表されたが、その潜入経過は明らかにされずに終った。【慰霊碑】浜松北高等学校校庭の東端に慰霊碑が建てられているが、当時の浜松市民を混乱と恐怖に陥れた事件であった(『浜松北高等学校八十年史』)。