遊園施設といったほどではないが天守閣跡には展望台(昭和八年入園料五銭)と茶屋があり、亀井山の鹿谷万象園には玉琴の滝があり、ビヤホールなどもできて夏は涼しかった。
【岩水寺】郊外へ出ると、遠州軌道株式会社(現在の遠州鉄道株式会社)が大正年間に乗客誘引政策として宣伝した岩水寺及び根堅鉱泉があった。【弁天島 楽園】大正十一年七月になると浜名湖弁天島(西野島)に弁天島土地株式会社経営の客席・ステージ・プール・食堂・浴場等を備えた本格的な弁天島楽園(入場料二〇銭、七月十日から八月三十一日まで)ができ、軽演劇などの実演や仕掛(しかけ)花火の催しもあって賑わった(弁天島仮停車場が常設駅となったのは大正五年九月であった。『浜名湖水泳史』)。【佐鳴湖 遊園】佐鳴湖(南北二六町、周囲一里二五町、面積一〇八町五反歩)も魚釣場として知られていたが、昭和六年に小藪(こやぶ)に佐鳴湖遊園が開設され、ステージも設けられ貸ボートも備えられた。佐鳴湖巡航商会ができ小藪・入野・堀留まで舟が入り、入野から弁天島まで四十銭であった。西岸の根川山もたずねる人があるようになった。
【舘山寺】舘山寺も付近には数軒の農家があるだけであったが、バスの発達により大正の中ごろ初めて料理屋兼宿屋が三軒できた。昭和に入って二、三軒増したが、料理屋が主で宿泊客はまれであった。