映画常設館

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 【大勝館】映画が盛んとなり常設映画館ができたのは大正五年で、芝居小屋の音羽座が大勝館と改称し(のち帝国館、松竹会社の直営館となり松竹館と改称した)、映画を上映したのが最初であった。【三松館 敷島館】翌六年には三松館(鍛冶町、定員四一五人)、続く七年には敷島館(千歳町、定員六九九人、大正十五年南座と改称し寄席常設場となり昭和初期元浜町へ元浜座と改称して移転した)が常設映画館として新築され開演した。【吾妻座】続いて八年には芝居常設の旭座(伝馬町、旧称若松座)も吾妻座と改称し映画館に転向した。【ライオン館】また大正九年駅南に電気館(砂山町、定員六四八人)、西部に大正十二年ライオン館(鴨江町、定員五八一人、のち二葉館と改称)が開場し、市内のどこでも映画が見られるようになった。ほとんどが映画会社の直営館ではなくて地元資本ということに特徴があった。こうして大正末期から昭和にかけて映画の全盛時代を迎えた。

敷島館