流行歌

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 昭和恐慌を迎えても、手軽なカフェーやバーは相変らず賑やかで、麻雀荘(一七)・撞球場(三、いずれも昭和六年の新聞広告)も増加し、紅燈の街々からは普及しはじめた蓄音機より流行歌が流れた。【清水みのる】浜松音頭(鈴木功一作詩、町田嘉章作曲)のレコード化は昭和四年、清水みのる(実、伊佐見村生、昭和五十四年十二月没、七十六歳)の「別れ船」が歌手田端義夫とのコンビでヒットしたのは十五年頃であった。