町が賑やかになると、町のいろいろの情報が要求され興味をひくようになる。そして多くの日刊新聞が刊行された。【日本民声新聞 浜松新聞】大正十五年(昭和元年)には、『浜松新聞』(田、社長佐藤章次)・『駿遠日報』(千歳、編集小川恵見―市会議員一回、昭和三十二年没、九十二歳)・『日本民声新聞』(鴨江、編集吉田鶴三郎)・『静岡日報』(田、編集松浦錠太郎)・『西遠新報』(大工、社長寺田伊平)などがあった。これらの郷土紙は単独に、または中央新聞(支局―静岡新報・静岡民友新聞・報知新聞、通信部―東京朝日新聞・東京日々新聞・読売新聞・国民新聞・時事新報・新愛知新聞・名古屋新聞など)の朝刊に折込んで同時に配達された。たとえば『新愛知新聞』に『駿遠日報』といった類である。なかでも『日本民声新聞』などは当時としては珍しい夕刊配達であった。なお普通の新聞紙大のものは『浜松新聞』のみであった。