明治初期の凧揚げ

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 明治維新当時、浜松の凧揚げ(『浜松市史二』参照)は小野組火事をはじめ数回にわたる火災などのために一時衰えたが、旧武家屋敷町の中にも新しく参加する町々もあって、明治の中期ごろからようやく復興のきざしがみえてきた。
 凧合戦は、もとは町組ごとに近くの広場であげた凧の糸がからめば切り合いを始めるといった程度のものであったが、凧を揚げる町がふえてくると共同の広い地がもとめられ、田町の大安寺下・法雲寺前・北寺島付近(機関庫建設用地など)などには、いくつもの町組が集まってきては合戦をくりひろげた。