大正の凧揚げ

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 明治四十四年市制がしかれ、鉄道工場が大正元年操業を始めると、浜松歩兵第六十七聯隊(現在の静大工学部)の和地山(わじやま)練兵場へ移った。陸軍の好意によりそののち毎年五月一日から五日までの使用が許可され、凧揚げといえば和地山練兵場、和地山といえば凧揚げ場というようになった。