連合凧揚会 屋台の出現

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 【統監部】しかし凧の数が多くなると(天神町の伊藤嘉七、伝馬町の桑原安太郎、板屋町の小名木伊太郎、紺屋町の中西文作、尾張町の鈴木清造、海老塚の葭川市郎、連尺の江間長三郎、千歳の小名木延次郎は凧揚げの名人といわれた)自ら統制も必要になり、相互の連絡のため大正三年には浜松市連合凧揚会が、また五年には統監部(初代部長殿岡勝蔵、浜松市連合凧揚会本部の前身)も結成された。これは凧揚げの競技化にも通ずるものであった。「引きあげ」も派手になり、底抜(そこぬ)け屋台(やたい)へお囃(はや)し連(れん)を入れて笛太鼓の音もにぎやかに引きあげるという方法が用いられるようになった。底抜け屋台とは長方形に組んだ木の枠(わく)に四本柱を立て、それへ凧をのせて屋根とし、軒に提灯を吊し、枠の腰まわりに造花の菖蒲(しょうぶ)や藤をかざりつけた仮の屋台で、その中へはいったお囃し連は歩きながら進むのである。しかしそれだけではすまず、やがて千鳥破風(ちどりはふ)・唐(から)破風仕立ての本格的な屋台(花車)が出現し、照明も電灯・アセチレン燈が併用されてぐんと明るくなった(大正十五年屋台数六二)。
 なお凧作りにはすみた屋(大隅一平)・一瀬堂などがあった。
 
(表)馬込町凧揚会決算報告(大正14年)
収入の部
435.35 寄付金
181.00 御祝儀(1戸20円~30円)
67.50 会費
286.10 法被代
43.90 手拭代
12.50 慰労会費
22.72 雑収入
合計  1,048.07
支払の部
25.70 床飾代
35.04 昼食丼及びそば代
10.90 庭師日当及び竹代
29.00 統監部費
39.60 子供菓子代
37.10 八百屋払
22.90 酒屋代
51.85 米代
95.00 提灯代
73.50 凧糸代
308.60 法被及び手拭代
26.30 ろうそくその他
42.00 鳴物代
15.00 御囃子師匠礼
2.50 商店支払
21.00 弁当屋凧預所其他礼
8.60 雑費
17.82 屋台飾花一式
37.00 凧代
6.00 写真代
61.25 慰労会費
合計 966.06
残高 82.01