創作活動 文名世に出る

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 大正六年東京へ移ったつぎは二十八歳であった。これからの二十七年間が東京という地の利を得て、つぎの文名が世に出た時代であった。九年八月「撲たれる女」を『新小説』に発表。【処女地同人】ついで十一年四月島崎藤村をめぐる女性たちの文芸誌『処女地』に同人として参加した。作品発表の場を得て、同誌へ数々の短編を掲載したが、同年これらの短編をまとめて『悲しき配分』を刊行した。新進の女流作家として文名があがり文壇の注目するところとなった。執筆の依頼も多くなり、『文芸春秋』『改造』『婦人公論』『新思想』『文章世界』『文章倶楽部』などに作品を発表した。これらは『真実の鞭』(大正十二年五月)『ある道化役』(大正十三年二月)の短編集となって刊行されている。このころつぎは、「私も先生とよばれて講演に頼まれることがある」などと親しいものに手紙を送っている。
 
(表)著作表
書名刊行年月発行所
悲しき配分大正11年11月新潮社
真実の鞭〃12年5月
ある道化役〃13年2月紅玉堂
子供と母の領分昭和10年11月古今書院
幽明記〃15年4月古今書院
四季と子供〃15年5月
女性の道途〃17年10月古今書院
娘と時代〃19年1月三国書房
春夏秋冬〃19年3月山根書房