【柳本城西】短歌には柳本城西(満之助、明治十二年愛知県豊橋生、医師、昭和三十九年二月没、八十六歳)があった。犬蓼短歌会を明治四十一年六月に浜名郡篠原村(当市篠原町)に創立している。この短歌会は豊橋で左千夫系の無花果歌会(のちに豊橋短歌会と改称)をおこした城西が、日露戦争後に篠原村で医業のかたわらに創めた月例の互選歌会で、浜松地方における最初の近代短歌会であった。歌会の五回目(四十一年十月)から伊藤左千夫に依頼をしたが、左千夫は「斯道の為に出来る限御尽し可申候」と快諾している。『アララギ』(馬酔木改題)第一巻には城西は活躍作家として名をあげられたばかりでなく、第三巻には会員の木村秀枝(ほづえ)・佐藤禄郎(愛知県)が巻頭を占めている。【犬蓼】けだし犬蓼短歌会の全盛時代であった。【アララギ】城西は左千夫の死後もアララギにとどまり大正四年四月犬蓼短歌会の月刊会報誌として『犬蓼』を刊行した。こうして城西はアララギの主要作家の一人としてのみならず(柳本城西『犬蓼短歌会の思出』昭和八年一月号、『アララギ』二十五周年記念号)、明治・大正・昭和の三代にわたる西遠地方のアララギ派の宿老として重きをなした。歌集に『犬蓼』(昭和四十年二月刊)がある。その序文に土屋文明は、「私の知った最も古い歌人の一人であり、しかも長寿を保たれて最後まで歌の道を共にした人である」とし、「翁の歌風は、その人格から来るものと見えて、常におとなしく正直で、淡々としてひとり己の道を行くといふ風であった」と述べている。なお『犬蓼』は城西没後もその門葉によって承け継がれている。