歌人の往来

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 【若山牧水】このころ浜松地方へ来訪した歌人には大正七年五月雪腸が招いた若山牧水(ぼくすい)がある。また北原白秋(はくしゅう)は昭和六年と七年に浜名郡鷲津(わしず)町の旅亭河井家に止宿し、浜名湖・本興寺を詠んだり(歌集『夢殿』)、『白須賀』の作詞をしたりしている。「遠つあふみ浜名のみ湖冬ちかし真鴨翔れり北の昏さに」。【折口信夫】折口信夫(おりくちしのぶ)(釈迢空(しゃくちょうくう))は大正七年八月城西の招きで来浜している。その後遠三信方面に数回にわたって旅行しているが、それを記念して周智郡(しゅうちぐん)山住神社には、「青々と山の梢はまだ暮れず遠山彦は岩たたくらし」の歌碑(昭和四十四年)が建てられている。【与謝野晶子】与謝野晶子(よさのあきこ)も昭和十一年七月奥山方広寺に足利紫山を尋ねている(鈴木実『与謝野晶子と遠江』)。「内浦を大草山の蟲の音の渡り来るかな月の上れば」は、このとき舘山寺(旅館山水楼)に一泊した折の歌である。【大町桂月】歌人ではないが大町桂月は大正四年に浜名湖都筑海岸(旅館湖月)に滞在している。