【平野多賀治】雪腸が没すると曠野社は自ら解散となり、昭和七年八月に平野多賀治(浜名郡中郡村、現当市西ケ崎町生、高歩・青蓋人・袖村とも号す、句集『多賀治句集』、当市千歳町、医師、昭和五十三年八月没、八十歳)によって井泉水(せいせんすい)系の『松』が創刊された。なお平野多賀治は昭和十一年四月に種田山頭火(たねださんとうか)を招いている。【内田六楼】『松』は内田六楼(ろくろう)(六郎、句集『鶴を待つ』)によって継承されて戦後にいたっている。【永井治雄】また『海紅』は永井治雄(当市和地山町、海紅同人)などによってうけつがれていく。