【馬酔木 羽公】羽公(又三郎、当市伝馬町、句集『春園』)は大正十一年ホトトギスに入った。若年にして『ホトトギス』の巻頭を得、昭和六年(二十八歳)招かれて馬酔木(あしび)同人となり、今日にいたっている。浜松在住の馬酔木同人には相生垣瓜人(あいおいがきかじん)(貫二、兵庫県生、当市広沢二丁目、句集『微茫集』)・和田祥子(当市広沢一丁目、句集『燈心草』)がある。【瓜人】瓜人は羽公と戦後に俳誌『海坂(うなさか)』(発行所静岡市)を創刊し現在にいたっている。【白雨】なお、ほかに中尾白雨(正彦、昭和十一年十一月没、二十八歳)があった。明治四十二年に浜松に生まれ、東京在住、明治学院中学部卒業後教員となったが昭和五年病のため退職、七年より作句を始め十年馬酔木同人となった。療養俳句の先駆といわれ『中尾白雨句集』(昭和十三年刊)がある。「喀血の蚊張波うってはづされぬ」はよく知られている。