呼鈴一派

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 【浦和淳】その一つに浦和淳(小池誠二、当市浅田町、詩集『バアバルの楽器』)を中心とした『呼鈴』がある。この詩誌は昭和三年詩中心の文芸誌『せせらぎ』(同人三峯耕一・夏目正理)が浦和淳の参加を得て『からたち』―『尖光』―『悪人街』と改名を重ね、七年七月『呼鈴』(昭和九年九月二十号まで浅田町呼鈴詩社)となってはじめて純然たる詩誌となったものである。『呼鈴』の一派は昭和五年ごろからモダニズム詩運動の先駆者として知られた岩本修蔵「MADAMEBLANCHE」の影響をうけることが多く、同誌も『呼鈴』を「今日の文学」という欄で紹介している。『呼鈴』はそののちも『呼鈴派』さらに『手套』と改題している。【塩寺はるよ】『呼鈴』の作家に塩寺はるよ(本名不明、大正三年愛知県新城生、昭和九年五月没、二十一歳)があった。浜松連尺町の白ばらという喫茶店につとめていた女性であった。浜松へ大正十四年移住し昭和六年に西遠高等女学校を卒業し七年に『呼鈴』に加盟したという。本名は百合子といったらしく、その異色ある作品は北園克衛の注目するところとなって「小さな言はば瞬間的の火災であったけれども、それは充分意義がある…また現代の火災であった」と評している。【化粧箱の都邑】浦和は、はるよの死後にその十六編をまとめて詩集『化粧箱の都邑』(昭和十年浅田町呼鈴詩社)を出している。

尖光