[洋画]

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 学校の図画教育のなかに洋画がとり入れられるようになると、鉛筆画とか水彩画を趣味で画くものもあらわれる。
 伊東弥恵治(当市名残町、千葉大学教授、昭和三十三年没、六十六歳)は浜松中学在学当時に浜松付近の風景を鉛筆で数十枚写生している(昭和四十七年に浜松のデパートで展覧された)。
 
【栗田雄】洋画家になったものに栗田雄がある。浜松尋常高等小学校の図画の専科教員であったが、のちに上京し画を業として春陽会に出展、大正十一年七月帰省し浜名湖を写生している。【本田庄太郎】また本田庄太郎(当市平田町)は上京し子供雑誌の挿画画家として知られた。
 浜松に洋画の気運が高まり研究団体や画の展覧会が開催されるようになるのは大正も末になってからであった。