浜松洋画協会

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 浜松に「洋画の普及が十分でないので、同好の士が集まって研究することが必要である」(『浜松洋画協会主旨書』)という主旨によって、幡鎌龍洋(雄一郎、周智郡山梨村出身、市立浜松高等女学校勤務)・粟野保次郎(浜松中学校勤務)・小倉某(浜松師範学校勤務)らによって、浜松洋画協会の結成をみたのは大正十年四月であった。【展覧会】会員は主として師範学校や中学校生徒で二十余名、毎月三回の研究会を市立浜松高等女学校で開催し、その作品四十四点の第一回展覧会を、同年十月に三日間にわたって演武館を会場として開いた。当時画の展覧会は乏しかったので入場者は数千名に及んだという。その後第二回は十一年十二月に、第三回は十三年一月に、また翌十四年と十五年八月には講習会を市立浜松高等女学校や私立誠心高等女学校の講堂で開催している。教員と生徒が主体であった。
 
【芽生会】このほか研究団体に「芽生会」があって、大正十四年五月に演武館で展覧会をしている。堀野・浅野・新野・小沼・富氷・山本などが出品し、栗田雄も賛助出品をしている。