リズム社

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 浜松地方の音楽に趣味をもつ人たちによって「リズム社」が創立され、音楽誌『リズム』の発刊をみたのは大正十一年五月であった。【県善三郎】これは浜松地方で最初の音楽結社で、同人は県(あがた)善三郎(当市鴨江町)・関川美作雄(関川美健の子)・水谷正義・中島静・松井多門の五人、いずれも市内小学校の教員たちで、県・松井・水谷は浜松子供協会の主要同人でもあった。『リズム』誌は浜松在住の松井多門・中道朔爾(さくじ)・後藤国道・山田千之(せんし)・渥美実などが提供した作詩へ、前記の同人および佐々木すぐる(英、浜松師範学校教諭)・松井力(浜松師範学校教諭)などがこれに作曲をして発表した雑誌で、編集は松井多門が担当した。【音楽会】このほかにリズム社はレコードコンサート(大正十二年二月、下垂二葉会館)を開いたり、市内各小学校(大正十二年六月十日)や東洋紡績工場(大正十二年十一月)などの音楽会にも賛助出演をしたりしてその音楽の普及につとめたが、なかでも十二年五月二十五日に浜松師範学校の講堂で挙行したリズム社創立満一周年記念音楽会は満員の盛況であった。リズム社は一時社友九十名を越えたが、同人たちの中に転任するものなどがあって十三年十一月第三十号をもって終刊となった。
 地方在住の音楽教師がはじめて自ら作曲を行ない、同じように地方在住者の作詩の提供によって、たとえトーシャ版誌であってもこのような雑誌を発刊し地方の音楽文化の向上に寄与したことは、浜松においてはこのとき以外になくその文化的意義は大きかった。
 
【松井多門】松井多門(当市山下町、昭和九年二月没、三十五歳)は、浜松中学在学当時に同人雑誌『松風』を編集した文学青年で、事実上の『リズム』の創立者であった。浜松子供協会員でもあり『土のいろ』同人でもあった。昭和十年二月『土のいろ』誌では「追悼録」を出している。