鈴木覚馬

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 【嶽南史】鈴木覚馬(かくま)(文久元年豊田郡草崎村、現磐田市生、当市高町在住、昭和十二年四月二十日没、七十七歳)は、浜松中学校に在職(明治三十四年五月~大正九年九月)しながら『嶽南史』を著した。明治三十八年に稿を起こし、その「後は殆んど百事を抛(なげう)って顧み」ずに「六十五歳の今日に至て漸く完成することが出来」たと自叙にいっている。ときに大正十四年五月であった。嶽南地方すなわち静岡県の歴史を記載した古書古記録等はもちろん口碑伝記まで目にふるるものは残らず集録し、これを帝紀順に編集したもので、校本五十四冊及び目録五冊より成っている。中村修二(和地出身、開明堂勤務)によって結成された嶽南史刊行会によって、昭和六年一月から十年八月までに五巻が完成した。第一巻(神武―後醍醐、一一四〇頁)・第二巻(後醍醐―正親町、一一二六頁)・第三巻(正親町―後陽成、一五二〇頁)・第四巻(後陽成―後水尾、一三四六頁)・第五巻(明正―霊元、一三七〇頁)、第六巻以降は未刊のままとなっている。柳田国男が序文を寄せ「嶽南史は即ち或一人の篤学が、その三十何年の貴重なる時を割いて、博く郷人に代って万巻を読破した報告である」といっている。久しいあいだ絶版であったが、現在は名著出版社から復刻版が発刊されている。