浜松市も市史編纂(へんさん)のため大正元年十月編纂規程を設け市内の各学校長に市書記をまじえてその委員を任命したが、資料の調査に手をつけたまま終ってしまった。そののち九年七月にいたり岡部哲(当市東伊場町、岡部譲の長男、市立浜松高等女学校教員)・松本勘次郎(浜名郡新津村、同校教員)・鹿野悠(市立浜松商業学校教員)に編纂を委嘱したけれども、これも資料の整理以上に進まなかった。そこで十一年一月専任編集員として本多円弥(号好山)を委嘱し、その執筆になる原稿を市内の各学校長の所見により補正して一応の成稿をみたのは十三年十二月であった。しかし不備の点がすくなくなかったので、さらに荒木喜太郎(専任編集員)を任用し改増補して十五年十月出版の運びとなった。計画の当初より十五年目であった。