【推薦制】浜松市では市長によって招集された翼賛会・翼賛壮年団・町内会長の代表者たちが協議の結果、推薦候補者は①地区別②有職者別に選考しその意見の一致をみた三十一名を内定し、他の九名は特別推薦と地区別推薦に委(まか)せ、八月十五日五社神社に選挙の成功を祈願し、合計四十名(市会議員定員四〇名)の推薦を決定した。選挙はこれに非推薦の候補二十三名が加わり展開されたが、時節柄言論戦よりも文書戦に力が注がれた。投票日の九月三日は快晴で、投票総数二万六千二百五十票、棄権は二千八百三十五人で、八十九・二%という最高の投票率であった。開票の結果は推薦候補の中から十一名の落選者を出した。なお、この選挙で民政党に所属し浜松政界の重鎮であった井上剛一(明治元年四月生、和歌山県出身、浜松千歳町在住、明治二十二年代言人試験合格、弁護士、静岡県弁護士会々長、衆議院議員当選四回、昭和二十一年五月没、七十九歳)は引退している。横光市長(退職後は静岡県食糧営団理事長・高台農業組合理事長・浜松市農業委員会々長を歴任、昭和四十年三月没、七十八歳)も十七年九月二十日に職を退いた。横光再選時代には白脇村・蒲村の合併(前述)、市営運動場新設等があったが、すでに翼賛政治の時代であった。【藤岡兵一】ついで市会満場一致の推薦で藤岡兵一(明治十八年生、金沢市出身、東京帝大卒、各県の警察部長歴任、大正十二年高知県知事、栃木県知事・鳥取県知事を経て関東庁警務局長、昭和二十一年十一月十一日浜松市長退職)が十一月二十八日に十代目市長に就任した。戦局は悪化するばかり、国内体制のすべてを挙げて戦争遂行に向けられ地方自治は縮少されるのみの時代であった。【翼賛市長】市政も経済統制費・青年学校費・体育奨励費等の支出や銃後奉公会費・在郷軍人会費・傷痍軍人会費・青少年会費・警防費・神社費等の補助費が増加し、国防献金・軍人援護資金・恤兵金・慰問品等の取扱いにいそがしかった。【西遠地方事務所】なお西遠地方事務所(浜名郡役所跡)が開所をみたのは十七年七月であった。